今日は9月9日です。まだまだ残暑が厳しいですね。夏はどちらかといえば好きな方ですが、9月にもなるともうそろそろ勘弁してくれと思ってしまいます。
夏といえば夏休み……といっても大人になってからはお盆休みが1週間あるかないかですが、我が家では毎年、帰郷して家族と過ごすことにしています。
車にのってエンジンをかけて出発すると、毎回、「◯月◯日は〇〇の日です」と今日は何の日シリーズを教えてくれる機能がついています。
「8月15日は終戦の日です」
お盆休みの最終日は、終戦の日でした。
この時期になると戦時中のエピソードがテレビで取り上げられますし、政治家の誰それが靖国神社に参拝したとかしなかったといったニュースが流れます。
僕の祖父母も、戦争体験をしており子供の頃から話をきいたことがあります。
僕の祖父は足が悪くて徴兵から外れたようですが、祖父の兄が出征したそうです。祖父は終戦のころに18歳くらいだったので、行かなかったとはいえそんな若い人も徴兵対象になっていたのは驚きです。
徴兵逃れのための醤油を一気飲みはネット上でも有名ですが、祖父いわく、一升瓶を飲み干すと死んでしまうので半分でやるそうです。この話を聞いた当時、僕は小学生くらいでしたが、やけに生々しくて恐ろしかったです。
昭和20年(1945年)に入ると戦争が激しくなり、祖母は疎開することになりました。しかし、疎開先は勉強道具を持っていったもののほとんど使わずに、もっぱら工場で作業していたそうで、いわゆる学徒動員です。終戦時にはまだ12歳で小学校の卒業前でした。
祖母は、働いていた工場のお昼休憩中に爆撃されるという衝撃的な体験をしています。もし昼休憩で外に出ていなければ、生きていなかったかもしれないと言っていました。
工場では、戦闘機のパイロットが使う器具を作っていたそうで、正確にどんなものだったのか僕はわからないのですが、その器具を使うと後ろを振り向かないでも後方確認ができる鏡のようなものを手作業で磨いて作っていたそうです。
戦時中は、普段は肥料に使う資材をごはん(胚芽米だったそう)の中に混ぜ込んでかさ増ししていたそうです。べちゃっとして美味しくなかったと言っていました。
5月ごろの麦の刈り入れ時期には、疎開先から帰ることもあったそうです。番傘をばらして串にして、みたらし団子を作ったそうです。終戦間際の苦しい時期だったはずですが、甘いものを作ることもあったのですね。疎開先に戻る時に、リュックいっぱいに団子を詰めて寮で配ったそうです。
祖母は疎開先で終戦を迎えました。8月15日に先生に今日は終戦だ、もう帰って良いと言われました。そして、生徒には木の裁縫箱が配られたそうです。
終戦後、戦争に行っていた義兄が帰国しました。義兄はマラリアにかかっており、しばらく高熱で寝込んでいたそうです。両親とこどもたち、そして姉夫婦とそのこどもも一緒に暮らしており、サザエさんの家庭のような感じだったようです。終戦時に祖母は12歳、そして姉夫婦のこどもは6歳(祖母からみたら姪)だったのでほとんど姉妹のような感じです。今ではなかなか考えられない環境ですね。
ちなみに祖父は12人兄弟だったそうで、こちらも今では見られない大家族です。祖父の姉が急病で亡くなったあとに、妹が同じ人に嫁ぐということもあったそうです。今の常識とはかけ離れすぎて想像もできません。
靖国問題について考える
僕が東京に来た当初、こちらに知り合いがほとんどいなかったこともあり、ふらふらと一人で都内を見て回るということをしていた時期がありました。
会社が赤坂の近くだったこともあり、ちょっと歩くと国会議事堂や皇居なんかにも行けました。かの有名な皇居ランニングを試したこともありますが、1周が5kmもあるそうでトレーニングを何もしていない僕は途中で脱落しました。
そこで、靖国神社が皇居の近くにあることを初めて知りました。もともと名前は知っていたものの、地方出身で東京の地理に疎いこともあり、どこにあるのかを把握していなかったのです。
こんなに近くにあるなら行ってみるかと、靖国神社を見てみることにしました。
僕は母親が熱心なエホバの証人だったこともあり子供の頃から宗教に対する強い忌避感を持っており、神社やお寺での参拝にも抵抗感がありました。そのため、靖国神社に行った時も、まわりを一通り散策する程度で帰ってきました。零戦が公開されていたのは印象的でした。
靖国神社に訪れてみたものの、そもそも僕がそれほど知識がなかったこともあり、特に何か感じることはありませんでした。そこで、こんなに世間では騒がれるのは何故だろうと不思議に思い、後にもう少し詳しく勉強してみることにしました。
靖国神社は明治2年(1869)6月29日に建てられました。
明治維新さなかの戊辰戦争や西南戦争で亡くなった兵士たちが祀られています。祀られているのは明治政府側だけで、旧幕府軍の兵士や西郷隆盛などはいわゆる賊軍だったので祀られていません。
坂本龍馬や吉田松陰といった明治維新の最初期の人たちは祀られているので、このあたりはちょっと偏りが感じられますね。旧幕府軍の合祀を提案した国会議員もいますが、いまのところ実現はしていないようです。
僕なんかからすると遠い過去の歴史の話なのでなんとも思いませんが、例えば、徳川家の子孫の方たちから見たら面白くないでしょうね。実際に、15代将軍慶喜のひ孫が靖国神社の宮司を務めていた時に、すったもんだあったようです。
日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦での戦死者、従軍看護婦や学徒などの軍属も祀られています。また、当時は日本に併合されていたこともあり台湾や朝鮮出身者なども含まれているそうです。
靖国神社に祀られているのは軍人と、軍の関係者である軍属のみです。空襲で亡くなった民間人などは靖国神社には祀られていません。
ネット上では、政治家や総理大臣に対して、靖国神社に参拝すべきだという意見をよく見ますが、僕はこれに関してはどちらでも良いと思っています。
靖国神社は明治政府色が強いこと、そして戦時中の民間被害者が含まれておらず、公人として行くべきだと強く求めるほどの場所ではないからです。
もちろん、信教の自由はありますから、個人の考えで参拝するのは理解できます。しかし、参拝しなかったから国賊だとか、親中親韓だとレッテル貼りや批判するのは間違っていると思います。
歴代総理大臣は、8月15日に千鳥ヶ淵戦没者墓苑に訪れます。
千鳥ケ淵戦没者墓苑は、昭和34年(1959年)国によって建設され、戦没者のご遺骨を埋葬してある墓苑です。先の大東亜戦争では、広範な地域で苛烈な戦闘が展開されました。この戦争に際し、海外の戦場において、多くの方々が戦没されました。戦後、戦友等によりご遺骨が日本に持ち帰られ、又昭和28年より海外の遺骨収集が開始されました。この墓苑は日本に持ち帰られたご遺骨において、お名前のわからかない戦没者のご遺骨が納骨室に納めてある「無名戦没者の墓」であるとともに、この墓苑は先の大戦で亡くなられた全戦没者の慰霊追悼のための聖苑であります。現在、370,467柱(令和5年10月4日現在)のご遺骨がこの墓苑に奉安されております。(ご遺骨は軍人・軍属・一般邦人を含む)
千鳥ケ淵戦没者墓苑は、軍人や民間の区別をせず全戦没者の慰霊追悼する場として作られており、非常に公平性の高い施設です。
終戦の日に公人が追悼の意を表するのであれば、千鳥ケ淵戦没者墓苑がふさわしいのではないでしょうか。もちろん、こちらは一般公開されているので、誰でも好きな時に訪れて参拝することができます。
また毎年8月15日には、日本武道館で政府主催の「全国戦没者追悼式」が行われ、天皇陛下や総理大臣が追悼します。
残念ながら千鳥ケ淵戦没者墓苑はちょっと知名度が低いんですよね。ネット民も知らない人が多いんじゃないかと思ってます。そして靖国神社の詳しいこともあまり知らないまま、参拝しない人は愛国心が無いと批難する人が多いような気がします。
……と偉そうにいう僕も、千鳥ケ淵戦没者墓苑には行ったことがないんですけどね。東京に来た当初はその存在すら知らず、今は都心から離れてしまったのでなかなか行く機会がありません。老後に時間ができたら行ってみようかなとぼんやりと思っています。
靖国神社への参拝は、ときに外交問題に発展することもあります。
特に、中国や韓国、北朝鮮など、日本軍の支配下にあった国々から強い反発があります。これは、第二次世界大戦の際に指導者であり、戦後の東京裁判で戦争犯罪を行った罪に問われた人も靖国神社に祀られているからです。
現代の法に置いては、刑罰が実施された時点でその罪は消滅するというのが一般的な考え方です。つまり、死刑となった後は名誉が回復され、神社に祀られることに問題はないように思います。
ただし、近隣各国の心情も理解できます。例えばサリン事件を起こした麻原彰晃は死刑になりましたが、彼が死後に信者によって祀られることに対して脅威を感じる人は少なくないでしょう。
アメリカでは、原子爆弾の投下によって終戦が早まりアメリカ兵の命が救われたという論調もありますが、日本人からすると受け入れがたいものがあります。一方の視点では正しくても、他方からは納得できないことは少なくありません。
他国の主張をすべて受け入れる必要はありませんが、まったく無視して配慮にかければ結果的に国益を損なう場合もあります。
そもそも、第二次世界大戦の頃は戦争犯罪について明確に規定はされておらず、後付のようなものだったので裁判自体が無効だという意見もあります。
これも理論上は正しいのかなと思いますが、戦時中は軍主導の人体実験や、特攻隊といった人命軽視の作戦、敗戦間際には日本兵による強制的な集団自決なども記録に残っており、決して当時の日本政府が清廉潔白ではなく当時の法律や常識で考えても十分に罪深い行為でしょう。
個人的には、仮に東京裁判を無効にたとしても、改めて国内裁判としてかつての大戦の指導者達を裁き直すことが必要なのではないかと思います。そして、これは記憶が薄れる前にすべきでしょう。
国の指導者ともなれば、結果責任が問われます。負け戦をし、亡国の危機にさらしたのだから糾弾はま逃れません。
そもそも戦争を起こしたことは正解だったのか、その経過においての判断は適切だったのか、そして敗戦のタイミングや仕方は他になかったのか、実際に裁き直すということができなくてもしっかりと歴史を検証することが大切です。全国を空襲されジリ貧になりながらも、竹槍で一億総玉砕という無茶苦茶なスローガンで粘り、無駄に被害を増やしたのは批難されるべきでしょう。
個人的には、日中戦争が泥沼化したのが誤りだったと思います。そしてそれは、進軍する軍部のコントロールを失ったことが原因でしょう。
アメリカとの開戦は、圧倒的な国力差が分かっており反対者も少なくありませんでした。アメリカが日本に対して石油の禁輸という経済制裁を課して対立を深めたのは、日本軍による中国やインドシナなどへの外征が発端です。素人考えですが、満州などの植民地の一部の放棄や占領地からの撤退でアメリカと和解する道はあったと思います。
むしろ連合国側に入っていたら常任理事国になっていたかもしれませんよ。
ちょっと話が逸れましたが、靖国神社に総理大臣や閣僚が参拝しに行くことに関しては、僕は賛同しません。個人として行くのであれば、肩書を外して個人名義で参拝や奉納すれば良いと思います。
そして、政治的な観点からすると、靖国神社への参拝にメリットが少ないように思います。参拝して喜ぶのは保守かネトウヨくらいのもので、外交的な反発を引き起こしてまで行く総理大臣は少ないのかなと思います。
最終的には、理想や信条よりも国益を優先させるのが大人です。
前述のとおり、戦没者への追悼であれば、千鳥ケ淵戦没者墓苑や8月15日に催される全国戦没者追悼式への出席で十分だからです。
靖国に参拝して愛国心を育てる、みたいなマッチョな思想はちょっとしんどいですしね。
そういえば、靖国問題では政教分離が問われることもありますが、これに関してはそれほど問題だと思ってません。アメリカの大統領も就任式では聖書に手を置いて宣誓する習わしがあります。日本よりも海外の方が宗教色が強いですよね。
特定の宗教や団体に対して、肩入れしていなければ問題ないと思います。
日本人はおみくじを引いたり、神社に参拝するのは習慣として根付いていますから、1年に1回くらい靖国神社に参拝したところでとやかく言う必要はないでしょう。
玉串料に関しては、靖国神社によると決まった金額はなく目安として2000円以上、祈願参拝は5000円からということのようです。僕もこどもが生まれた時に近くの神社でお祓いをしてもらったことがありますが、確か5000円でした。
かつて、安倍首相は真榊料(まさかき)として5万円を納めたとニュースになったことがあります。庶民の僕からすると、ちょっとお高いんじゃないのと思うんですけど。
こんなに貰ったら、投票せざるをえないですよね。
とはいえ、政治家が懇意にしている料亭なんかだと、年に何回も通っているはずですからすごい金額になっていると思います。まったく政治家というのは闇が深い生き物ですね!
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