真実の愛は存在するのか?愛の本質を探る

考え・意見

真実の愛は存在するのでしょうか?愛について考えていきます。

結論から言うと「唯一無二で不滅の真実の愛は存在しない」と思います。

ただ、これは愛そのものを否定するものではありません。

愛には多様な形があり、それらを理解することが大切です。

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愛とは何か

そもそも「真実の愛」の定義からしていく必要があると思います。

  • 唯一無二の愛
  • 不変の愛
  • 見返りを求めない無償の愛
  • 正しい愛

もちろん、人によって色々な解釈がありますが、真実の愛にはこういった要素が含まれていると思います。

最後の「正しい愛」というのは、やや曖昧な表現かもしれません。

個人もしくは両者が望んで悪い結果を求める場合があります。これは、正しくない愛といえます。個人的には、極端な自己犠牲も正しくない愛だと思っています。

二度目の愛

あるカップルがお互いを愛し合っていたものの、何らかの問題によって別れることになったとします。

悲しいことに物事がすべて自分の思う通りに運ぶわけではありませんから、こういった出来事は往々にしてあります。

でももし、これが真実の愛であった場合、彼らはもう二度と真実の愛を抱くことは不可能という事になってしまいます。

これは非常に悩ましいことです。

一度目の愛は真実ではなかったと割り切ってしまうこともできますが、しかしその場合、次の愛が果たして真実であるかという判断が出来なくなってしまいます。

真実の愛が不変なものだとすると、それを確認できるのは人生の最後の瞬間だけです。

その瞬間では真剣に愛し合っていても、それが確認できるのは最後まで分からないというのは、感覚的には受け入れがたいものがあります。

つまり、真実の愛は存在せず後付の結果論でしかないと言えます。

愛は時間経過によって変化する

愛は時間経過によって変化するという考え方もできます。

過去の愛も、二度目以降の現在の愛も認めることができるようになり、その瞬間ごとに確かに愛し合っていることを実感できます。

一方で、恋愛に燃えることもあれば、冷めてしまうという性質を受け入れなければならなくなります。

さらに、同時並行的な愛や、特定の期間に限った愛の存在も認めることになります。つまり、不倫や浮気といった感情も正当化されます。

「極短期間の愛」、たとえば一夜限りの愛も、「愛は時間経過とともに変化する」という前提に基づけば、その瞬間における真実の感情として存在し得ると解釈できます。

これでは、どうしても真実の愛とは矛盾が発生してしまいますね。

真実の愛の不変性を否定することで現在の愛を実感できるメリットがありますが、倫理観を大きく揺さぶる要因にもなりえます。

不倫や浮気といった感情は社会的・倫理的には批判されがちですが、絶対悪であるとは言い切れません。不倫や浮気が「より良い関係への過渡期」として機能する可能性もありえます。

ただし多くの場合、傷つく第三者(配偶者や家族)が存在します。このため、新たな愛が「結果的には良いもの」であっても、そのプロセスで生じた痛みを軽視してはいけません。

ラブスタイル類型論

愛には様々な形を分類したラブスタイル類型論というものがあります。

  • エロス – 情動的な恋愛
  • ルダス – 遊びの恋愛
  • ストルゲ – 友情的な恋愛
  • アガペー – 自己犠牲的な恋愛
  • プラグマ – 実用的な恋愛
  • マニア – 偏狭的な恋愛

ラブスタイル類型論(ラブスタイルるいけいろん)とは、ジョン・アラン・リー(英語版)が『the colors of love』(1973)において提唱した恋愛態度(ラブスタイル)の分類法である[1]。人間が恋愛に対して取りうる態度や考え方を、様々な文献から抽出し生成した6つの型に分類したものである。

ラブスタイル類型論 – Wikipedia 最終更新 2024年9月6日 (金) 03:25 

これらの複数の要素が組み合わさり、愛の形は流動的だとされています。

前半3つのエロス、ルダス、ストルゲを基本とし、後半3つのアガペー、プラグマ、マニアが副次的な要素として混ざってくるとされています。

なんとなく、感覚的にもわかりやすい分類になっていますね。

カップルであれば情動的な、結婚した夫婦であれば友情的(家族的)な関係性になります。時にはルダス(遊びの恋愛)に走る方もいるかもしれません。

面白いことに、提唱者の実施した調査ではアガペー型に該当する人がいなかったようです。同様な実験を行った他の研究グループでもここに当てはまる人は極稀としている結果が多いです。

恋愛感情を抱くということは、肉体的や精神的な欲望を持つことが自然なことですから、見返りを求めない無償の愛とはなりにくいです。

またアガペー型は関係性の長期化によって減少したり、不幸なライフイベントによっては増加するなどの特性があるようです。

科学者の研究でも、不変の真実の愛を証明することはできていないようです。

愛を秘めることも重要

「真実の愛は存在しない」ことを受け入れることは必ずしも悪いことではありません。

愛には色々な形があり、変化するものだと理解することでより良い生活を営むことができます。

ルダス(遊びの恋愛)が湧き上がっても、自分を卑下する必要はありません。誰もが、そういった感情を持つことは自然なことなのです。

しかし、その感情の赴くままに行動してしまえば、周囲の人を傷つけてしまったり信用を失ってしまう結果になるかもしれません。

パートナーがいるにも関わらず恋愛感情を抱いてしまった場合でも、その気持ちを胸に秘めておくことで、自分を含めて家族の心を守ることができます。

愛し合うことと、それを行動に移すことは、必ずしも一致しません。

行動が伴わないからといって、その愛が不完全であったり偽物であるわけではありません。行動に移さない愛は、一瞬の美しさや純粋な感情として心に残ります。

行動に移さない愛を肯定することで、愛の形が多様であることを受け入れやすくなります。たとえば、一方的な愛、短期間の愛、友愛的な愛などもすべて価値あるものとして認められます。

愛するための知識、努力、才能

愛が自然発生的な感情である一方で、それを維持し、相手との関係を深めるためには、知識や努力、時には特定のスキル(才能)が求められることもあります。

相手を思いやる、支え合う、尊重するといった行動は、努力や意識的な取り組みが必要なことも多いです。

  • 相手を理解する
  • 自己中心性を抑える
  • 維持する努力

たとえ、2人が惹かれ合っていたとしても、各々が異なった価値観や感情、背景を持ち、時には意見の衝突が起こります。

自分の欲望や都合を抑え、相手を優先する行動を取るには、努力が必要です。

愛情が一時的に冷めることは珍しいことではありませんし、愛を再燃させたり、関係を深めたりするためには意識的な行動をとらなければなりません。

愛をうまく表現する能力には、個人差があります。感情を言葉や行動で示すのが得意な人もいれば、苦手な人もいます。この差は、生まれつきの性格や過去の経験に影響されることが多いです。

これは一種の才能ともいえるかもしれませんが、共感力やコミュニケーション能力といった愛の基盤となるスキルは、学んだり練習することで向上することができます。

愛する姿勢を見せることが、愛を伝えることにもなりますね。

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