若い頃にもっと勉強すればもっと良い人生になったはずだ、なんて思うことありませんか?
僕もそう思うことがたまにあります。ただその一方で、これまでまったく努力してこなかったわけじゃないし、その結果である現状が限界だろうと言う自分もいます。
あまりに強い負荷をかけて努力しても長続きませんし、病気になってもっと悪い状況に陥ってしまう可能性もあります。
こどもの頃は、努力して勉強すればどんな夢でも叶うと親や先生などに教えられましたが、現実はそう甘くありません。
いくら頑張ってもスポーツ選手やアーティスト、芸能人になれるのは限られた人だけです。ラーメンが好きだからといって自分で開業しても、成功する人ばかりではありません。好きなことで生きていくということを実践できている人が日本全国でどれほどいるのでしょうか。
現実の社会はとてもシンプルで、能力主義の弱肉強食の世界です。
そして僕は、この競争社会は今後さらに厳しさを増していくと予想しています。
加速する能力主義社会
資本主義の日本では、優秀な人とはつまりお金を稼げる人です。正直さや道徳心、優しさといった特性はそれほど評価されません。
その才能や能力も遺伝の影響が大きく、生まれた時に決まってしまっているというのが現実です。
才能が100ある人が10時間勉強して70点取れるところを、才能120の人は1時間の努力で90点取れてしまいます。才能が90の人は、10時間の勉強で50点しか取れないかもしれません。
ともすれば、勉強をすれば誰でも良い点が取れると思われがちですが、そんなことはありません。
いくら努力してもウサイン・ボルトのように速く走ることが出来ないように、頭脳の回転速度にも努力では埋まらない才能の差があるというのが現実です。
また、頭の良い人は運動もそれなりに出来たり、絵や音楽といった芸術面でも秀でている傾向があります。理論的な思考によって効率よく習得し、自分を律して計画的に行動することで勉強以外の分野でも高い能力を発揮します。
そして、努力すること自体も才能の差によって継続性の難しさは変わります。
才能に恵まれており、少し頑張れば報われるような人であれば努力することに積極的になります。ちょっと頑張って成果を得られたなら、もっと努力すればさらに大きな成功も手に入れられると挑戦心が強くなります。
成功体験を得るほど自信がつき好循環が生まれるのですね。
一方で、能力が低い人は努力しても思ったように成果が出ませんから、やる気を継続することはとても難しいのです。誰だって労力に見合った報酬が得られ無ければ嫌になって途中で止めてしまうでしょう。
優秀な遺伝子を得たもともとの能力が高く容量の良い人は幅広い分野で活躍し、その一方で才能に恵まれなかった人は特定の専門分野に絞っても習得に非常に長い時間と労力を要します。まったく理不尽ですが、これが現実じゃないでしょうか。
勉強ができる子に対して返済が不要な給付型奨学金がありますが、僕はこの制度に反対しています。
その理由は、基準があいまいだからです。
給付型奨学金を受けるための成績評価では「全履修科目の評定平均値が5段階評価で3.5以上」といったものがありますが、それは学校内だけの評価です。
偏差値50の学校で90点取るよりも、偏差値70の学校で70点取るほうが難しいでしょう。もしかしたら、給付型奨学金を貰うためにあえて偏差値の低い学校に入学する家庭もあるかもしれません。
優秀だから学費を免除してあげようというなら、偏差値の高い学校の生徒を優先的に無料にしなければ整合性が取れません。
しかし僕は、そもそも成績の良し悪しで奨学金を出すという考え方自体にも疑問を持っています。
勉強ができる人は社会に出ればしっかりと稼げる可能性が高いわけですから、給付型でなくとも自力で奨学金を返済することは可能だと思います。
能力のある人が大企業に勤めて高給を稼ぎ、一方で才能に恵まれなかった人は中小企業で低賃金ながら奨学金の返済に苦しんでいるというのが現実じゃないでしょうか。
奨学金の原資は国費、税金です。
つまり、低賃金の庶民が汗水垂らして納めた税金が、能力が高く将来的に高給取りになる確率の高いこどもの給付型奨学金にあてられているのです。これっておかしいと思いませんか?
例えば防衛大学のように、人材不足の学校の先生や警察官などの公務員を育てるために給付型の奨学金を設け、民間に就職した場合は学費の一部を返還させるといった仕組みなら賛成です。
公務員の仕事は住民サービスですから、税金を原資とした奨学金を出すことは国民全体の直接的な利益になります。
戦後の混乱期は、優秀な人でも等しく貧しい生活を強いられていました。そのため、国が奨学金を出し才能のあるこどもを掘り起こし高い教育をすることで国の発展を加速させるという大きなメリットがありました。
しかし現在では、優秀なこどもの親は学歴が高くお金持ちであることが多いです。富裕層の家庭では、こどもを私学に通わせ幼い頃から高水準の教育を施すことで、将来的に高い給与の職業に就いたり家業を継ぐことになります。
給付型の奨学金には所得制限がありますが、優秀なこどもの親は高所得の場合が多いので利用できないという矛盾も発生します。
どちらかというと、援助が必要なのは給与の低い一般家庭の方です。成績によって受給制限のある奨学金よりも、一部の地域で始まっているような高校無償化の方が今の時代には必要とされており、さらに全国に広げるべきだと思います。
そういえば僕が中学校に入った際に、小学校で一番仲良くしていた友達が突然どこにもいなくなって不思議に思ったことがあります。大人になってから気づいたのですが、おそらく彼は私立受験していて地元の中学校には行かなかったのです。
そんな幼い頃から、人生が別れていくのだということを大人になってやっと理解するようになりました。
現代では身分制度こそ無くなったものの、その代わりに能力によって貧富の差が生まれる社会になっています。
才能は遺伝による影響が大きいですから、皮肉にも血統によって人生が大きく左右されることは現代でも変わりありません。
そして、この社会の仕組みは当分は変わらないでしょうし、これからその競争はさらに激しくなると思います。
基本的に、人種は違っても潜在的な能力に差はありません。
同じ民族であり2つに分かれるまで同じ歴史を持つ韓国と北朝鮮ですが、国力に大きな差があります。国民の潜在的な能力に差はありませんから、支配体制の違いがこの2カ国の発展に影響を及ぼしていると考えられます。
南北朝鮮や、かつての東西ドイツの歴史からみても、専制国家よりは民主主義の方が優位性が高いのは明らかですね。
アメリカが世界の覇権を握ることができたのも、移民国家であり世界中から優秀な人材を集めることができたのが大きな要因のひとつだと思います。
アメリカは非常に極端な国で、成功者は天井知らずに富を築ける一方で、貧困に苦しむ人々や犯罪の多いスラム化した地域もあります。
アメリカには日本のような国民皆保険は無く、また生活保護の条件も65歳以上かつ極度の障がいや死に近いほどの健康状態でなければ受けられません。覇権国家は国民も強さを求められるのか、まさに弱肉強食の非常に厳しい社会です。
政治が不安定な国に生まれた優秀な人達は母国を離れ、より大きなチャンスを掴むためにアメリカを目指すのでしょう。ただ、アメリカの競争社会に生き残れるのはそれなりの才能と運がある人だけですから、人より秀でた才能の無い人が渡米しても成功することはできないでしょう。
例えば、日本でもろくに出世できない僕なんかがアメリカに行ったところで、ろくに就職もできずに露頭に迷うのがオチでしょうね。
生き残り戦略
この能力主義社会はこれからも続きますし、さらに加速していくと思います。
第二次世界大戦後に発展の遅れた中国やインドといった国々がいまや日本を追い越すほどの成長をしており、覇権国であるアメリカを脅かすほどの存在になっています。
先進国と新興国の差が縮まるということは、日本の優位性が失われ生活水準の維持も難しくなります。バブル崩壊以降は日本人の給料はどんどん下がっていますし、物価は上がり商品の内容量が減ったり小さくなる一方です。
日本は新興国が自国で作ることにできないハイテク機器を売ることで、資源や農作物などを格安で大量に手に入れることができました。しかし、新興国が成長すれば自作できるものが増えますし、収入が上がることによって贅沢品の需要が高まり取り合いになります。
世界トップの技術を持つハイテク企業などに勤めている人は世界の需要が増すことで給料もどんどん上がっていくでしょうが、そうでない一般庶民の生活は下がる一方です。
また、ライバルは新興国ばかりでなく、技術発展が僕たちの仕事を奪う脅威にもなりつつあります。特にAIは現代の産業革命にもなりうる存在だと思います。
かつては、人々が針と糸で洋服を縫っていましたが、ミシンの発明によって生産性が飛躍的に上昇しました。機織り機から自動織機への進化も革命的でした。
AIが発展し自動運転が実現すれば、物流に関わる人達の多くは失業してしまいます。タクシーやトラックの運転手、電車や飛行機なども無人で運行するようになります。中央センターでそれらのロボットの制御やメンテナンスをする人がいくらかいるだけで、ほとんどの労働者は不要になっていきます。
また、AIはホワイトカラーの仕事も奪うと言われています。大量の情報を処理できるAIは医療や法律などの分野にも強く、自動的に診断したり過去の判例を大量に調べ上げる速度は人間よりはるかに高いでしょう。
もちろん最終的な判断は人間が行う必要があるので、完全に無人になるとは思いませんが今よりも少人数でより多くの仕事をこなせるようになります。
そうなると、今では自分で会社を営業して病院や法律事務所などを開いていた人たちが、民間企業に勤めるようになります。これまでホワイトカラーとして働いてきた優秀な人達が、ブルーカラーの管理職などの席を奪うことになります。
求められる能力が高まればついていけない人たちが出てきてしまいますから、今正社員で働いている人たちでも非正規になったり失業に追いやられます。投資効率の良い高い収益を出す業界からロボット化が進み、人間には低賃金の仕事しか残らないかもしれません。
かつては人口の9割が農民でしたが、今や農業をしている人の方が少なくなっています。100年後には今の仕事のほとんどが無くなってしまっていても不思議ではありません。
厳しい能力主義社会で、僕達はどう生きていけば良いのでしょうか?
能力のある人は、どんどん先を走っていって日本の未来を引っ張っていってください。
それ以外の僕のような一般庶民は、ゆっくりと衰退する社会を受け入れるしか無いと思います。それは悪いことばかりではなく、自分の能力の限界を把握することで幸福度を最大化することが出来ます。
例えば、まったく芽がないのにスポーツ選手や華やかな芸能界に憧れるよりも、どこかで見切りをつけて堅実な仕事に就いた方が幸せな生活を遅れるでしょう。何の目処も無いのに大金持ちを目指して独立起業しては、失敗してもっと苦しい状態になってしまうかもしれません。
そんなリスクの高い人生を無理に追いかけなくとも、普通の生活で満足してはどうでしょうか。
高級車に乗りたいとか、海外旅行に行きたいといった贅沢を望まなければ、一般的な仕事の給料でもそれなりの幸せは手に入れられます。
パートやアルバイトでも時給1000円で8時間働けば1ヶ月で16万円になります。夫婦2人で頑張れば32万円になりますから、当面は暮らしていけます(国保や年金支払いを考えると正社員よりは厳しい)。
もちろん、病気や高齢化などなんらかの理由でどちらか片方でも仕事できない状態になれば収入が減ってしまうので生活は苦しくなります。場合によっては生活保護を受けることにもなるかもしれません。
手当などを目的に偽装離婚する人もいるようですが、僕はこれを完全には否定しません。法律違反になりうるのですすめはしませんが、もしも追い詰められたら一つの手段として考えるでしょうね。夫婦2人で沈んで行くよりは、マシな選択肢を模索すると思います。
若い人であれば、給料の一部を投資に回して資産形成を目指しましょう。
世界は資本主義で動いているのですから、誰しもが投資家となるべきです。投資家といっても大金持ちを目指すわけではなく、少しづつ資産を積み上げて老後の生活に備えるくらいのイメージで良いと思います。
S&P500や全世界株(オールカントリー・オルカン)といったインデックスに連動したETFへの長期投資はもっとも堅実な戦略のひとつです。
世界中の優秀なヘッジファンドや投資家が切磋琢磨する株式市場では、素人がちょっとやそっと勉強しても勝てるはずありません。デイトレードで短期的に儲けるような賭けにでるよりは、市場平均に投資するのが懸命でしょう。
未来を読むことは不可能ですからタイミングを測つ必要はなく、余剰資金はすぐに投資していっても問題ありません。長期投資でもっとも重要な要素は時間ですから、できる限り速く資金を投じるのが効率の良い方法となります。もちろん、生活資金に手を出したり借金をしてまで投資してはいけませんよ。
もし可能なら、家族で協力して資産形成を目指すのがベストだと思います。投資は時間が経てばたつほど効果が上がっていきますから、複数世代で投資を続けていくのが理想です。
30年前と比べたらアメリカ株は10倍以上になっていますから、今は小さなお金でも未来には想像もできないほどの金額に膨れ上がっているかもしれません。
時にはITバブルやリーマンショック、コロナショックなどの大暴落を引き起こしますが、いずれも数年で回復し高値を更新し続けてきました。
この厳しい能力主義の社会の中で、不思議なことに市場平均への投資だけは才能が求められません。
特別な能力のない庶民にとっては、これから来る厳しい社会を生き残るための希望の光かもしれませんね。
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