昔お祖母ちゃんが、死ぬ前に一度は一般参賀に行ってみたいと言っていたのをふとした時に思い出しました。それがどれくらい強い気持ちだったのか、単に思いつきで言っただけかもしれませんが、なぜか僕の記憶に残っていました。
仏教系の家だったのですが、お祖母ちゃんはおちょぼさんという稲荷神社に度々通っていたようなので、個人的には神道への信仰心があったのかもしれません。天皇は神道の最高祭祀者なので、会ってみたいという気持ちがあっても不思議ではありません。
僕自身は、天皇についての勉強はほとんどしたことがなく、それほど関心もありませんでした。僕と同じような人は多いのではないでしょうか。一方で、天皇に対して特別な感情を抱く人も少なくありません。
お正月の一般参賀に始まり、皇族の動向は一年を通してニュースに乗りますから興味の有無に関わらず目にすることになります。日本の憲法の一番初めに書かれている天皇という存在は、日本人にとって重要で無いはずはありません。
あらためて、天皇や皇族の存在意義や制度について考えてみます。
※それほど深い知識のない一般人の見解です。
天皇とはどんな存在なのか
僕がニュージーランドに高校留学をしていたある朝、ホストマザーが新聞を見せながら「おめでとう!」と祝福してくれたことがありました。「日本のプリンスが誕生」という大見出しとともに写真が一面を埋め尽くしてました。
悠仁さまの誕生が海外のトップニュースになっていたのです。
でも当時の僕は高校生でしたし、皇室に対してまったく関心がありませんでしたから、それがどれほど重要なニュースなのかピンときていませんでした。「ふーん、そうなんだ」くらいの反応しかしなかった僕に対してホストマザーは驚いていました。ニュージーランドはもともとイギリスの植民地だった歴史から今でも英王室を国家元首としていますから、悠仁さまの誕生が特別なことだと日本人の僕以上に理解していたのでしょう。
日本人よりも、海外の人の方が王室や皇室に対する関心や憧れのようなものが強い印象があります。もしかしたら、それはゴシップ感覚のようなものかもしれませんが、王室に対する国民の関心や注目は日本人のそれよりも強いです。
大人になってからも、天皇や皇室が身近に感じることはありません。庶民の一個人にとっては。あっても無くてもそれほど関係ない存在というのが実情ではないでしょうか。
天皇は日本で一番偉い人というくらいのイメージです。偉い、といってもそれがどういう意味を持つかもよくわかりません。
こう考えてみるのはどうでしょうか。
神武天皇は日本で一番初めの英雄であり、今の天皇はその子孫だ。こうしてみるとちょっとかっこ良く感じます。
日本の英雄と言えば織田信長などが思いつきますが、その子孫が今でも生き残っていると言われたらどんな人なのか気になりますよね。伊藤博文、徳川家康、足利尊氏、源頼朝など新しい時代を作った指導者も英雄と呼ばれます。
つまり、太古から続く日本という国を興した神武天皇はもっとも重要な英雄ともいえます。そしてその子孫が延々と126代も続いているのですから凄いものです。
鎌倉幕府は9代、室町幕府と徳川幕府は15代で終わりましたから、天皇家の歴史の長さは際立ちます。
実際には神武天皇の存在はよくわかっていなかったり、DNA鑑定したらどこかで血が途切れていたなんてこともありそうですが、ともかく天皇の地位を世襲制で繋げてきたことが重要です。
現天皇との血縁関係が確かなのは在位507~531年の26代目継体天皇からだそうで、それでも1500年くらいの歴史があります。
このおかげで、日本の歴史が守られてきたという側面もありそうです。他の地域では、王朝が代わる際に新たな王が自身の正当性を主張するために、過去の歴史を消滅させたり改ざんすることも少なくありませんでした。
日本では、政治の実権が離れたのちも天皇は君主の立場を保つことが出来たため、貴重な歴史書物や宝物、儀式などを失うことなく継承できたのではないでしょうか。それは現代でもあてはまることで、皇室への予算が確保されていることで、資料の研究や保存が続けられています。
象徴天皇の意義とは
象徴天皇って何なんだろう、と調べてみましたが正直よくわかりませんでした。参議院憲法審査会のサイトに資料がありましたが、とても難解です。
どうやら、国会議員や研究者の間でも意見が異なるようなので、一般人にはまったく理解不能です。
他国でいえば国家元首と同等の立場にある人、だけれどまったく同じものではない日本独自の地位だということのようです。
天皇が「日本国の象徴であり日本国民の統合の象徴」であること、その地位が「国民の総意に基づく」ものである
1 象徴天皇制の意義 2024年3月18日14:06
神道の最高祭祀者であり、国家元首として国政や外交活動を行いつつ、色々な式典やイベントの訪問、文化活動、災害地への慰問、さらには天皇個人としては研究や社会問題に対する活動などもしているようです。
存在意義を問うのも失礼なくらいに、めちゃくちゃ仕事をしている人のようです。
民主主義国家において、かつての専制政治の名残りである天皇や王室という存在が同居することは矛盾するところですが、その批判を跳ねのけるほどの仕事をすることで国民の理解を得ようという力業をされているのかもしれません。
王様って優雅で贅沢をしているイメージでしたが、現実はまったく違ってとても自分では務まりそうにありません。
天皇制の未来はどうなるか
民主政治が成熟した現代においては、天皇の存在がなくてはならない、と言い切れるほどのものではないと思います。仮に、明日から天皇制を廃止したとしても、それによって生活が一変するということは無いでしょう。
今のところ上手くいっている制度ですから、特に大きな問題が無いのであれば続けていけば良いのではないかと思います。
前述したとおり天皇は無数の仕事を抱えており、天皇制を廃止して新しい制度を作り、それを代わりに他の誰かがするということになると膨大な労力とお金がかかりそうです。
とはいえ、国民が望んだとしても天皇制を続けていけるかどうかはまた別問題です。
例えば、皇位継承問題があります。
天皇は原則として、男系男子のみが即位することができます。
過去の歴史からすれば、男系女子が天皇を務めることもできますが、これは問題を先送りにするだけで男系男子の存続は必須です。
今のところ、将来的にこどもを増やせる男系男子は悠仁さましかいないので、絶滅寸前の危機的状況です。もしも、悠仁さまに男の子が生まれなければお終いですし、男の子が3人、4人と生まれれば良いのですが、1人や2人ではまた同じ問題が将来起こります。
日本政府はどんな対策を考えているんでしょうね。
現代においては、側室をもつなんてことは世間が許さないでしょう。生まれてくるこどもの性別の確率を上げる産み分けの技術もありますが絶対ではありません。
もしかしたら、人工授精など最先端の科学技術で男の子になる確率を高める努力をしたり、男の子が生まれないまま高齢化した場合は代理母出産といった方法もありそうですがそこまでするのでしょうか。
もう一つの方法として、旧宮家や民間にいる天皇家にルーツをもつ男系男子を皇族復帰させる可能性もあるようです。どうやらこどもを産める年齢の男系男子は何人かいるそうです。
世間からはまったく認知されていない人なので、急に天皇に即位するということは無いと思いますが、その人の子供が天皇になるということはあるかもしれませんね。
とはいえ、その人たちから皇族に戻りたくないと断られてしまう可能性もあります。
何かあればすぐにSNSやネット上で炎上してしまう時代になりましたから、僕だったら恐ろしくて自分から手をあげるようなことはしないと思います。
その懸念は、悠仁さまや将来の天皇にも同じことがいえそうです。もしも、悠仁さまが即位を断ったり、男の子を生まないまま途中で退位を宣言してしまったらどうなるのでしょうか。
そんな無責任なことはしないだろうと、勝手に国民は思い込んでいますが絶対にないとは言えません。その予防としても、もし皇族に復帰してくれそうな人がいるなら、話を進めておく必要がありそうです。
天皇はどんな思いでこんな重責を担っているのでしょうか。
国民への責任、先祖への責任感、国家維持という君主としての責任から職責を全うしているのでしょうか。一般庶民の僕にはとても測り知れません。
こうして考えると、一部で議論されている女系天皇という選択肢はありえないと予想しています。仮に日本政府や国民が求めたとしても、長い歴史を壊してしまうことを天皇が承知するとは思えません。
これは僕の想像でしかありませんが、天皇は万が一の際の指導者になりうる存在でもあると思います。
例えば、地球規模の大災害や核戦争といった社会を破壊してしまう事件が発生し、政治指導者が一挙にいなくなってしまうこともありえます。そんな場合に、新たに選挙などで政府を作るまでの一時的なリーダーとして天皇が国を率いることは考えられます。
過去には、2.26事件という軍事クーデターによって政府要人が暗殺されてしまい、政府機関がマヒしてしまったことがありました。政府や軍部も大混乱に陥ってしまい、誰も判断することが出来ずにいました。
しかし、天皇がクーデターを認めず、矛を収めるように勅令を出したことでクーデターは終息していきます。その間、首相代理や臨時内閣は責任を取って辞職すると上奏したものの、その前にクーデターの鎮圧を優先するようにと天皇から諭されます。
明治政府では天皇は君臨すれど統治せずという方針でしたが、政治リーダーを失ったことで統制できなくなった政府が最終的に頼ったのが、それまで実権を持たなかった天皇だったというのは皮肉な話ですね。
このように、天皇は社会が大混乱した際にリーダーシップを発揮することができる最後の保険となりうる存在なのかもしれません。
二・二六事件(ににろくじけん、にいにいろくじけん)とは、1936年(昭和11年)2月26日から2月29日にかけて発生した日本のクーデター未遂事件。
二・二六事件- Wikipedia 2024年3月18日17:37
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