イオンを散歩していると、ペットショップによく行きます。こどもの頃に飼っていた犬を思い出します。
はじめて飼ったのは僕が8歳くらいの時で、キャバリア・キングチャールズ・スパニエルという名前の長い犬種でした。むずかしい名前なので、一生懸命覚えようと頑張った記憶があります。
2匹目に飼ったのはミニチュア・シュナウザーでした。長い眉毛とヒゲが特徴的です。
最近のペットはすごく高くなっているのに驚きます。人気のトイ・プードルは、50万円や60万円といった高額な値札が並んでいます。何十年も前の話ですが、うちで飼ったキャバリアは13万円だったのでかなり違いますね。
犬は純粋で可愛くて、心を癒やしてくれる存在です。また、飼い主に従順で賢く、飼いやすいペットです。
でも、今はまたペットを買おうという気持ちになりません。良い思い出は沢山ありますが、大変なことや別れなど辛いことも多いからです。
ペットを飼った経験
幼い頃は犬が苦手でした。祖母の家にプードルがいたのですが、よく吠えて威嚇してくるので噛まれやしないかと恐ろしかったです。
そんな弱腰な態度を見透かして、僕のことを格下だと認識していたのでしょう。犬は上下関係の意識が強く、飼い主に対しては従順ですが、自分より弱い相手に対してはなつきません。こどものころは他の犬にもよく吠えられた気がします。
はじめは犬を飼うことにあまり乗り気ではなかったのですが、僕の不安はまったくの杞憂に過ぎませんでした。その理由は簡単で、ちいさな仔犬だったので何も怖いところがありませんでした。
はじめてペットを買いに行った日の記憶が今でも強く残っています。
もとは倉庫だった場所を改築したようなお店で、広々とした店内にはずらっとゲージが並んで沢山の犬や猫が展示されていました。うさぎやハムスター、インコ、熱帯魚のコーナーもあり、ありとあらゆるペットが売られています。
猫は僕がアレルギーを持っていたので飼えません。うちはマンション住まいだったので、小型犬に絞りました。アメリカ映画に出てくるような大型犬に憧れはしますが、現実に飼うとなると世話も大変そうです。
僕がはじめに気になったのはコーギーでしたが、ちょっと体臭がきついということで家族の反対にあい断念しました。
しばらく決めあぐねていると、店員さんがゲージから何匹かを連れてきて抱っこさせてくれました。誰かがそうしよう、と言ったわけではなかったのですが、すぐにこの子だと皆が思ったのがキャバリアでした。
白と茶色のふわふわの毛並みが美しく、大きな瞳が特徴的です。垂れ下がった大きな耳の毛先はパーマがかかり高貴な印象を持ちます。キャバリア・キング・チャールズ・スパニエルという名前のとおり、イギリス王室で愛されいてた歴史があります。
性格は優しく穏やかですが、もともとは狩猟犬だった血も入っており活発です。
家に連れ帰ると震えていたのを覚えています。はじめて会う人たちとまったく知らない場所に住むことになったのですから、恐ろしかったでしょう。
栗毛色の英語マルーンから取って名前はマルとしました。
マルは小柄でしたがオスだったのでとても力強かったです。紐の引っ張り合いがお気に入りの遊びだったのですが、人間のこどもが全力を出しても互角くらいの力がありました。大きな公園につれていくと、水を得た魚のように元気よく走ります。トップスピードになると僕ではとても追いつけないほどでしたが、差が広がると戻ってきて隣を一緒に走ってくれました。
マルは夜になると布団で一緒に寝ます。手でとんとんと催促して、布団の中に入りたいとねだる仕草がとても可愛らしいです。犬は賢く、人間の3歳くらいの知能があるんじゃないかと思います。
時には不満をぶちまけることもあり、犬だけ置いて家族で出かけると怒って部屋の中を荒らしてしまいました。マル本人もそれが悪いことだと自認しているようで、帰ってくると自分からハウスに戻って反省のポーズを取ります。
そんな幸せな毎日を過ごしていたのですが、ある日を境にマルとは距離を置かなければなりませんでした。母が出産して、赤ちゃん(僕の弟)が生まれたのです。
それまでマルは家の中で飼っていたのですが、母親の意向で外飼いにしました(その頃には引っ越して一軒家になっていました)。万が一、赤ちゃんを傷つけたりでもしたら大変です。
動物はペットといえど病気をもっています。狂犬病ワクチンなどは打ってありましたが、噛まれたり引っ掻かれた傷からどんな病気が入ってくるかわかりません。
この時、僕は中学生になっていました。ひどい話ですが、正直、マルの面倒をみるのが億劫になっていました。そうしようと思えばもっと散歩にでかけたり遊んであげる時間は十分にありました。それでも、漫画を読んだりゲームをしたり、自分のことばかりをしていました。
それから2年ほどでマルは病気にかかり亡くなりました。当時の僕はあまり理解していませんでしたが、あまりにも急速に衰えていったのは、やはり大きな環境の変化とショックがあったからに違いありません。
驚くことに僕は悲しいと思いませんでした。涙も出ませんでした。中学3年生になっていましたが、僕は人間としてあまりにも幼かったのです。
それから1年ほどして、またペットが欲しいという話になりました。弟は3歳になっていたので心配もなくなり、また家の中で飼えるようになりました。
次に飼ったのはミニチュア・シュナウザーです。女の子で名前をユリとつけました。
キャバリアは毛が抜けて掃除が大変なこと、オスはおしっこを横にひっかけるので片付けが手間なことなど、色々な経験を踏まえた上で選びました。
ユリはとても大切に育てました。前の失敗の後悔もありました。
それでも、自分が成長していくにつれて、ユリとの時間はあまり取れなくなっていきました。高校生になり、僕自身が留学したこともあります。帰国して専門学校に通うようになるまで、4年くらいは離れていました。
それから2年ほどしてユリは病気になりました。病名は覚えていませんが、先は長くないと先生に言われました。
最後の1週間ほどは、ユリは僕のそばから離れようとしませんでした。ひざの上からどかそうとすると怒って噛みつこうとするのですが、その力があまりにも弱々しく、僕は涙が止まりませんでした。
どんなに愛されていたのかを、最後になって気づいたのです。僕もそれまでは、大切に思っていたつもりでした。でも、彼女にとっては、家族やこの家の中が世界のすべてであり、その愛情の深さに僕は十分に応えられてはいませんでした。もっと沢山遊んでやればよかったし、何でもいいからしてあげればよかったと後悔の念が絶えませんでした。
昔飼っていたマルに対しても、どんなに謝っても、謝りきれない気持ちです。
人間と動物はどう付き合って行くべきか
犬はとても素晴らしい動物です。でも、今の僕は仕事もありますし、ペットを十分幸せにできる環境を作ってあげられません。
ペットを飼った経験があるからこそ、動物に対して真剣に思いを巡らすことができたという側面はあります。僕にはこどもがいますし、こういう勉強や体験もしてほしいとは思いますが、そのために新たに犠牲を増やすことはできません。
買わないことが動物達にとって一番良いのだと僕は思うようになりました。
ペットを飼うことに対して、あまりにも高い責任感や理想を持つ必要はありません。ペットは新しい家族として家庭を明るくしてくれますし、可愛くて癒やしの存在となってくれます。
でも、その裏にはペットショップで売れ残り処分されていく動物たちがいることも知らなければいけません。
ペットショップでいつまでも買い手のつかない動物は、かつては保健所に連れて行かれ殺処分されていました。しかし、これを問題視した国が動物愛護管理法を作り、保健所が受け取り拒否できるようになります。
処分先に困ったペットショップは、金銭を渡して引取業者に任せるようになりました。
業者は、ペットを転売したり、場合によっては無料で譲渡することもあるそうです。しかし、それでも引取先が無い場合は直接的に殺処分はされないものの、劣悪な環境で死ぬまで飼育されるそうです。
人間の業はあまりにも深いです。ペットを買うということは、これらのペットビジネスを間接的にも肯定し支援することになります。
ペットの販売・購入に対してはもっと厳しい規制が必要ではないでしょうか。
生後数ヶ月のペットばかりが販売されているのが大きな問題です。小さい頃ほど人気で高く売れますが、数ヶ月の間に買い手がつかないと処分対象となってしまいます。生まれて半年たらずでその後の運命が決まってしまうのです。
ペットショップや業者に対しては強い規制をかけ、寿命をまっとうできるまでの生育義務を負わせるべきでしょう。その分だけコストがかかり、価格が上がってしまうのは仕方ないと思います。生命を預かるのですから、それ相応の対価と責任を負える人だけが購入できるようにすべきです。
おそらく、仔犬の価格は数倍に跳ね上がり庶民では手の届かぬ贅沢品となるでしょう。でも、それで良いと思います。1歳や2歳と大きくなった犬猫ならば余るほどいます。仔犬から飼うことに拘らず、成体のペットを購入する文化が根付けば動物たちの犠牲を減らせます。そのためには社会全体の意識改革が必要でしょう。
動物園の有り様も改善の余地があると思います。
動物園は観光地として楽しめますし、展示や解説を通じて動物の勉強ができます。また、研究機関としての役割や、絶滅危惧種などの保全や繁殖といった役割もあると思います。
また、これらの運営にはお金がかかりますから、お客さんをいれて料金を取る仕組みは必要でしょう。
でも、動物たちの福祉は十分ではないように思えます。
オランウータンやチンパンジー、ゴリラといった類人猿はとても知能が高く、人間に近い生活をすると言われています。チンパンジーの遺伝子は98%が人間と同じです。彼らは高度な感情を持ち、展示による悪影響を受けやすいと考えられます。
彼らを、見世物として扱うのは倫理的に正しいことなのでしょうか。
チンパンジーは人間でいえば4歳くらいの知能があると言われています。仲間と笑い合ったり、時には悲しみ鳴くこともあれば、恐怖や不安といった多彩な感情を持ちます。
僕が思い出せる一番古い記憶は4歳くらいのものです。ひとりの人間として自我が生まれていました。もし、その時に檻に閉じ込められ見世物とされていたら大きなショックを受けたでしょう。そして、そこから数十年も同じ場所で暮らさなければならないと思うとゾッとします。
もちろん、動物と人間の単純比較はできませんが、ある程度の配慮が必要なのではないでしょうか。例えば、彼らが望めば人前に出てこなくて良いように、人目のつかないエリアを作るといった方法が考えられます。
それに、チンパンジーが見えないから動物園に行かない、という人はあまりいないと思います。
もちろん僕のこの考えが過剰で不必要な配慮の可能性もあります。動物たちが、周りの人間に慣れてストレスがまったく無いのであれば問題ありません。動物園の飼育員や研究者の方達はどのような見解なのでしょうか。
僕は、こどもの頃によく動物園に連れて行ってもらいましたが、そこまで興味がなく退屈していました。どちらかというと、遊具のある公園に行った方が嬉しかったです。大人になった今、こどもを動物園に連れていくことがありますが、親子で似てしまったのか娘は動物にあまり興味を持ちません。
動物園は大人になってから行った方が、色々と考えさせられて面白い場所なのかもしれませんね。
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