子供と共に歩む手探りの幼児教育

体験談

娘が3歳半頃の出来事です。幼稚園の先生と教育方針で対立することがありました。

幼稚園では原則としてパンツを履くように指導されます。しかし、娘はトイレトレーニングが進んでおらず、オムツが外れていませんでした。

もともと娘は神経質な性格で、新しいことへの挑戦に二の足を踏むことが多いです。1歳くらいのときには、地面の色が変わっているというだけで警戒し、段差などがないにも関わらずその場に立ち尽くしてしまうことがありました。

5歳になった今でも飲み物は水だけで、お茶やジュースは色がついているという理由だけで口をつけようとしません。慣れたメニュー以外は食べようとしませんし、なんとかひと口だけ挑戦させてもそれ以上は頑なに拒否します。おやつだけはパクパク食べるんですけどね。

トイレに座ることは出来ますが、おしっこは頑なに拒否します。

幼稚園にパンツを履かせて行っても、朝から帰ってくるまで我慢してしまいます。8時に家を出て、15時ごろに帰宅するので7時間は耐えていることになります。

家に帰ってくると安心するのか、気持ちが爆発して大泣きしてしまいます。トイレを促しても行きたがりません。最終的には無理強いはせず、本人の意志を尊重してオムツにします。

話を聞いてみると、幼稚園で他の友だちがトイレに行っているのは知っており、自分もトイレの練習が必要だという自覚はあるようです。それでも今のところは恐怖が勝っており一歩を踏み出せない様子です。

パンツ登園を続けていればいつかはトイレに行くようになるかなと簡単に考えていましたが、そのまま半年ほど経ってしまいました。

トイレをずっと我慢していては腎臓や尿管など体に負担がかかってしまいますし、ストレスが溜まってしまいます。授業にも集中できないでしょう。病院に行って医者から神経過敏の症状があるという診断書をもらい、オムツで登園させたいと幼稚園に相談に行きました。

ところが、幼稚園側はオムツ登園に反対しました。

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副園長先生の主張と、僕の反論

トイレトレーニングについて相談するため幼稚園に面談をお願いしたところ、副園長先生が対応してくれることになりました。

なんだか思ったより偉い人がでてきたなと思いましたが、平日に父親(僕)が休みを取ってまでして行くということで、幼稚園側もちょっとした面倒事になるかもしれないと感じたのかもしれませんね。でも、ある程度の権限がある方が話も早そうなので悪くないなと思いました。

副園長先生の主張はこうでした。

  • 入園ルールとして全生徒がパンツ登園するように合意していた
  • 漏らすまで我慢させればトイレに行くようになる
  • その過程で嫌な思いをしても記憶に残らないので問題ない
  • トイレが出来ないことで恥ずかしい思いをするデメリットもある

パンツ登園できないのであれば、出来るようになるまで登園させない、という強い言葉まで出てきました。

副園長先生の話を聞いてはじめに感じたのが、真意がどこにあるのかという疑念でした。はたして、先生はこどもの成長を考えて発言しているのか、それとも規則を守らせることを優先しているか。

どうしてもパンツで登園させる、という結論ありきで説得しようという話しぶりに聞こえてしまいました。勘違いかもしれませんが、少なくとも僕はそんな印象を受けました。

僕の反論は次の通りです。

  • 医者の診断書にある通り「神経過敏」でトイレトレーニングができない
  • 排泄を我慢することによる体への悪影響が出た場合に幼稚園は責任を取れない
  • トイレを我慢することによるストレスや集中力の低下
  • オムツ登園させることで先生方の負担が増えることはない

お医者さんに相談した上で「トイレトレーニングを無理強いせずに本人の意志が明確になるまではオムツ登園させるように」と書いてもらいました。そもそも、医者の診断書があるので議論する必要性すら無いというのが僕のスタンスです。

話はシンプルです。病気なのでパンツ登園が出来ないのです。

足を骨折している生徒が体育を休むのと同じことです。手が動くのであれば、座学に支障はないでしょう。パンツで登園できなければ、幼稚園で他の授業を受ける権利が無くなるというのは暴論です。

しかし驚くことに、医者の診断に対して異議を唱えたのです。副園長先生は「神経過敏」はオムツ登園を許可する十分な理由にならないと主張します。

僕もトイレトレーニングができるのであれば、それにこしたことは無いと思います。でも、ドクターストップがかかってしまったのです。僕は医療に対してはまったくの素人です。神経過敏という症状についてもよく知りません。よく分からないからこそ、医療のプロフェッショナルである医者の判断に任せるのが良いのではないでしょうか。

また万が一、過度の我慢が原因で腎臓や尿管の病気にかかってしまった際に、幼稚園は責任をとれますか?もちろん、責任を取るなんて言えるわけがありません。

すると副園長先生は手を代えて来ました。自分のフィールドである教育分野で説得を試みてきます。

「漏らすまで我慢させればトイレに行くようになる」「その過程で多少嫌な思いをしても記憶に残らないので問題ない」「これまでそうやって皆出来るようになった」

これは本当に教育なんでしょうか。体罰、虐待じゃないですか?……と心のなかで思っていましたが、流石に失礼なので口にはしませんでした。

そこで、これまでの自宅でのトイレトレーニングの状況や、無理に毎日パンツ登園しても我慢してしまうので体の負担になるだけだということを再度丁寧に説明しました。

この辺りで、僕の固い意志を崩すのは難しそうだと副園長先生も察しているようでした。

自分だけトイレが出来ないことで劣等感をもったり、独りだけオムツを履いていることで恥ずかしい思いをする可能性がある、とその場の思いつきのような意見をぶつけてきました。

確かに一理あります。

でも、あらゆる決断にはメリットやデメリットがあるものではないでしょうか。それらを天秤にかけながら生きていくのが人生です。無理強いして体に負担をかけてまでパンツ登園させることに、それほどのメリットがあるようには思えません。

最終的には、オムツ登園させることに合意してもらえました。娘がオムツをしていることで幼稚園側の負担が増えることも特に無い、というのも大きな説得材料だったかもしれません。

幼児教育はブラックボックス

子育てをしていると教育方針について悩むことが度々あります。

こどもを過保護に育てたり放任してしまえばわがままになったり自立心が阻害されそうですし、反対に厳しく教育しすぎても萎縮して自主性を失ってしまいます。自由にさせた方が伸び伸びと育つ子もいれば、親が一緒に付き添ってあげた方が安心して挑戦できるという子もいるでしょう。

こどもの生まれ持った性格、能力、生活環境の違いなど個人差が大きいので一つの型にはめて育てることは出来ないと思います。

トイレトレーニングの問題では、少しくらい泣かせてもトイレに座らせれば出来るようになる、というのが幼稚園先生の意見です。

一方で相談した医者は、いずれはこどもが自分の意思でトイレに行くようになるので無理強いする必要はないと言っていました。強制するとむしろ逆効果になるケースもあるそうです。

どちらが正しいのでしょうか。

この答えを出すのは難しいように思います。

もしかしたら、トイレで用を足すという一点に限れば、強制的にさせれば出来るようになるかもしれません。しかし、本人の意思をまったく無視した方法を取ることが後にどのような悪影響があるのかわかりません。

どのような教育が、その後の人生にどう影響するのかを何十年も負って検証することはできないでしょう。ABテストをすることも出来ないので、それをしなかった場合とした場合の比較も不可能です。

この問題は、結論は出ないでしょう。だからこそ悩み、考えながらこどもと一緒に成長していくしか無いと思います。

そこで大切なのは教育方針です。

特に幼児期では、知識や技能の獲得よりも情操教育が大切だと思います。

情操教育(じょうそうきょういく)とは、感情や情緒を育み、創造的で、個性的な心の働きを豊かにするためとされる教育、および道徳的な意識や価値観を養うことを目的とした教育の総称。

情操教育 – Wikipedia 2024年1月22日11:14

こどもは次から次に新しいことを学ぶ忙しい日々を送ります。

幼稚園に入ると、食事の際はお箸を使うように練習が始まります。自分で着替えられるようにボタンをする訓練、ひらがなを書く勉強、音読、鍵盤ハーモニカを弾いたり、体育では前回りや鉄棒などもしているようでした。運動会や音楽会、発表会、みんなの前でスピーチをするお話会なども催されます。

そのすべてをうまくこなせる子どもばかりではないでしょう。体を動かすのが得意な子、音楽が好きな子、お話が上手な子などそれぞれです。

トイレトレーニングだけは必ずやらないといけないというのはおかしいです。どんなに遅れても小学生になればトイレはできます。数年早くトイレに行かせることがそれほど重要とは思えません。

出来ないことを無理してやらせるよりも、出来ることを褒めて伸ばして上げる方が良いと思います。

娘は1月生まれなのでいわゆる早生まれです。

近所に同じ幼稚園に通う仲の良い友達がいますが、その子は5月生まれなので娘とは1年近くも差があります。身長は10cm以上も違い、一見するとお姉ちゃんと妹です。脳も1年分はやく成長しているので、その分だけ会話内容も高度ですし、絵や文字も上手に書けます。

幼いときほどこの差は大きいです。すべてのことを他の子と同じ水準で求める必要は無いでしょう。

娘は音楽が好きなのでピアノ教室に通っています。4歳半ごろから始めて、現在は半年くらいになりますが両手の曲を弾くようになりました。

もともと生真面目な性格なこともあり、毎日かかさず練習しています。僕なんかは毎日コツコツ続けることが苦手な性分なので関心してしまいます。

幼稚園でも鍵盤ハーモニカの授業がありますが、片手の短い曲なのですぐに弾けます。

「両手でピアノを弾けるのは幼稚園の先生みたいだね」と褒めると、誇らしげな顔をしていました。

娘に音楽の才能があるのかというとよくわかりません。両手で弾くと言っても左手は1音だけなので難易度はそれほど高くありません。おそらく同じ年齢でももっと上手に弾ける子は沢山いるでしょう。

でも、ピアノを上手に弾けるかどうかよりも、娘が自信を持って得意とすることがあるという事が大切だと思います。

教育は個々の特性を尊重し、子どもの成長や状況に合わせた柔軟性が必要です。しかし、限られたリソースしかない学校教育には出来ることにも限界があります。幼稚園や学校に任せっきりにするのではなく、足らない部分は親がサポートしていく必要があります。

また、僕が見誤ってしまったこともあります。ピアノの発表会の課題曲が難しかったので変更してもらうべきかと悩んだのですが、少し練習したらすらすらと弾けるようになりました。幼い頃から面倒を見て誰よりもよく知っていると思い、こどもの可能性を過小評価してしまったのです。

子どもが感じること、思っていることを理解し、適切なサポートを提供するためには、普段からしっかりコミュニケーションをとり信頼関係を作ることも必要ですね。

最後にですが、僕は、日々の生活を大切にしたいという思いもあります。10年後、20年後、大人になってから、将来のこと、あまりにも遠い未来を見すぎて眼の前の生活をないがしろにしたり、今感じていることを無視するのは間違いだと思います。

目の前の瞬間が未来を築く一部であり、今感じていることや経験が、後の人生を作っていくのだと思います。

ちなみに、娘は5歳1ヶ月ほどでトイレトレーニングに成功しました。トイレの練習をやってみる?と聞いてみたところ、怖がりながらも挑戦しました。2時間ほど座っていると成功し、自信をつけた様子で次の日からは自分からやるようになりました。

それから2週間ほどで親の助けがなくてもトイレに行けるようになりました。

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