エホバの証人2世信者がたどった心の旅

体験談

僕の母親はエホバの証人の信者で、10歳ごろに集会(教会)に通わなくなるまで2世信者として育てられました。

幼少期に受けた宗教教育は、その後の僕の人生に多大な影響を与えました。大半は嫌な思い出です。

今でも集会に連れていかれる夢を見ます。ほとんどの場合、これ以上、宗教に行きたくないと親と言い争い物別れになって目が覚めます。もう離れてから数十年も立っているのに、心の奥底では何か引っかかっているものがあるのかもしれません。

これまで、僕の経験したことはほとんど誰にも語った事はなく、その必要性も感じなかったこともあり長年胸のうちに秘めていました。結婚する際に一部は妻に話したことがあるのですが、それも全てではありません。

これまでの人生を振り返り、記憶を整理し、昔感じたことや今の考えをまとめてみたいと思いました。

※基本的にエホバの証人に対して否定的な考えを持っています。現役の信者の方は不快な思いをするかもしれません。

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エホバの証人の教え

兄が幼稚園バスに乗り込む姿を母に抱っこされながら見送っていた記憶があります。兄とは2歳差なので、おそらく僕は4歳前後だったのでしょう。他に思い出せるのは、宗教に通っていたことだけです。

僕は幼稚園には行かず、小学校に上がるまで自宅で母親から宗教教育を受けていました。3男だったのですが、兄2人は幼稚園に通っています。どうやら、母は僕にエホバの英才教育をして、理想の信者に育て上げたかったようです。

小学生になる前には大半の漢字を読めるようになっていたので、悪いことばかりでもありませんでした。

日曜日と金曜日は集会と呼ばれる教会で2時間の説法を聞き、火曜日は地域ごとにグループ分けされた信者の家で1時間の勉強会が開かれます。僕はこどもでしたから、内容が頭に入ってくることはほとんど無く、半分くらいは眠気と暇な時間との戦いでした。

それでも、印象的な絵やエピソードは今でもいくつか記憶に焼き付いています。

エホバの証人(エホバのしょうにん、英: Jehovah’s Witnesses)は、1870年代にアメリカ合衆国でチャールズ・テイズ・ラッセルを中心に発足したキリスト教系の宗教団体である。

エホバの証人 – Wikipedia 2024年1月25日22:07

エホバの証人とは、キリスト教系の新興宗教です。とはいえ、新世界訳聖書という独自の聖書を使っているので、カトリックなどのメジャーなキリスト教からは異端視されています。広辞苑と同じくらいの太さの聖書を持ち歩いて勉強していました。

基本的には、エホバの証人の教義だけが真実であり、それ以外のこの世に存在するあらゆるものは悪魔の所業であり誘惑だと教えられます。

そして、近い将来にハルマゲドンという神と悪魔の戦争が起こり、世界を浄化するとされています。最終的にはバプテスマと言われる儀式を経たエホバの証人の正式な入信者だけが生き残り、それ以外のあらゆる人間は死にます。いわゆる、終末思想です。

エホバの証人は、出来るだけ多くの人にこの教義を広め入信させることで、ハルマゲドンが来た際に人々を救い出すが使命です。ただし、生き残りたいという下心だけでは許されません。あくまで、神を信じ従うことが重要で、その結果として救いがあります。

ここが宗教のやっかいなところで、信者のほとんどは善意から布教活動をしています。僕の母親も、子どもたちを救いたいという一心で宗教を教えていました。

エホバの証人は比較的、厳格な戒律が定められています。

質素倹約を尊び、酒や娯楽に耽ることは禁止されています。離婚や中絶、婚前交渉、同性愛の禁止など伝統的なキリスト教のタブーと重なる部分が多いです。

また、エホバの証人には他にはあまり見かけない独特の規制や風習がありました。これらは、具体的に禁止事項として明示されているものもあれば、暗黙の了解や個人の解釈によって差異のある曖昧なものまであります。

輸血の禁止

血を口にすることが禁じられています。血の滴る肉などを避けます。

しっかり調理すれば問題無いのですが、うちの母親はレアステーキはダメだと言っていました。この点は個々の判断が分かれるところで、おそらく、レアステーキを食べる信者もいると思います。

また、医療行為による輸血を拒否します。正式な入信者は、万が一、意識を失った場合に備えて輸血拒否の意思表示をするためのカードを常に身につけています。兄は16歳くらいで入信していたのですが、未成年でどこまで効力があるのかは不明です。

こどもの頃に母親に「もしも僕が大怪我をしたらどうするの?」と聞いたことがあるのですが、最近は輸血をしなくても治療できる方法が開発されてきているから大丈夫だ、というちょっと曖昧な答えが帰ってきました。

教義に従わなければならないという信仰心と、息子を助けたいという母親の気持ちが揺れ動いていたように見えました。幸いなことに、その判断が迫られるような状況はありませんでした。

日本で1992年(平成4年)に起きた、宗教上の理由で輸血を拒否していたエホバの証人の信者が、手術の際に無断で輸血を行った医師、病院に対して損害賠償を求めた事件。

エホバの証人輸血拒否事件 – Wikipedia 2024年1月29日16:57

この事件は比較的、有名ですね。

エホバの証人の教義的には、裁判で金銭を請求するのはちょっと道を踏み外しているような気がするのですが、どうなんでしょうね?

恋愛の制限

  • 婚前交渉(入籍前の性行為)
  • エホバの証人以外との結婚
  • 中絶
  • 離婚
  • 不倫
  • 同性愛

信者同士での恋愛は可能ですが、入籍前の過度な付き合いは控えるように指導されます。

未信者との恋愛は制限されますが、将来的に入信するという前提で、エホバの勉強を始めるなどの条件をクリアすれば許されるようです。長兄は大学生になってから未信者の彼女を作っていました。

兄はその後、婚前交渉からの妊娠、そして中絶を内緒でやってしまったので、排斥(破門)となり辞めていきました。若い人の流出を止めるためにも、宗教側としては恋愛を制限したいのかもしれません。

実は、エホバの証人は恋愛に厳しいばかりではないようです。20代の若い信者を中心とした、希望者による転属システムがあります。結婚適齢期の若い男女が、定期的に別の地域から転属されてくるのです。

宗教内の男女バランスは男性が圧倒的に少ないこと、また男性は率先して重要な役職に就くように指導され尊敬を集めやすいので結婚相手を見つけやすいです。逆に女性は不利な環境かもしれません。

2番目の兄は結構美人な信者と結婚しました。

暴力行為の禁止

殴る蹴るといった暴力行為は禁止されています。当たり前の話ですが、これをしたら犯罪です。それに加えて、エホバの証人ではさらに広範囲の意味での暴力行為を規制しています。

例えば、ボクシングや空手、相撲などのスポーツはしてはいけませんし、視聴もすべきではないとされています。剣道や柔道といった学校の授業も受けられません。

2世信者が信仰心を試される難関のひとつが小学校の運動会で行われる騎馬戦です。名前の通り、戦争を連想させるので参加できません。

この頃の小学生の男の子にとっては、むしろ一番楽しみにしている競技のひとつではないでしょうか。

皆が楽しんでやっているのを、運動場の端で独りだけ見学しなければならないのは精神的に非常にきついです。同級生はもちろん宗教のことなんてわかりませんから、なぜ参加しないのか不思議そうな視線を一斉に浴びながら耐えるしかありません。

うちの場合は、暴力シーンのある漫画やテレビなども見ないようにきつく制限されていました。ポケモンも戦闘シーンがダメだということでテレビアニメを見させてもらえませんでした。

要するに、ほとんどの映画やゲームなどの娯楽は禁止です。僕がこどもの頃はもっぱら、小説を読んで過ごしていました。少しばかりは、こっそり隠れて漫画を読んだりはしていましたけどね。

また、暴力禁止のポリシーからは矛盾するのですが、こどもの教育に当たり「鞭打ち」が行われていました。皮のベルトや、ガスホースなどでお尻を打たれます。僕も幼い頃に受けています。

集会でうたた寝してしまった時や、兄弟喧嘩した後に鞭打ちになりました。集会が終わった後に、すぐにトイレに連れて行われます。鞭打ちをしてしっかりと教育していると、他の信者に見せるために集会所内でやっていたのではないかと思います。

母は良心が痛んでいたのか、途中からしなくなりました。鞭打ちに関しては後悔しているというような事を大きくなってから打ち明けられたことがあります。明らかに虐待ですからね。

抑圧されたこども時代

記憶がない頃から宗教に連れられて、エホバの教義を叩き込まれていましたが、僕自身は一ミリもその内容を信じたことはありませんでした。

その理由はシンプルで、毎日が苦痛だったからです。

僕は幼稚園に行かず、ずっと家でエホバの勉強や活動をする日々を送っていました。週3日の集会の他に、宣教活動として母親に連れられて家々を回ります。1件づつローラー作戦ですべての家のインターフォンを鳴らして、勧誘のパンフレットを手渡しします。留守宅はメモしておいて後日、再訪問するという徹底ぶりです。

この時間は僕にとっては、つまらないものでしたが、まだ我慢できました。

僕が一番苦しかったのは、兄2人からのイジメです。3歳と2歳離れた兄弟が手を組んで僕を毎日イジメました。

「〇〇(僕の名前)は、匂います~」という歌でからかわれた記憶が今でも頭から離れません。おもちゃを隠されたり、外で遊んでいる時にひとりだけ置いていかれるなども日常茶飯事でした。

僕は何度も母に助けを求めましたが、見て見ぬふりをして止めてくれませんでした。聖書では「汝の隣人を愛せよ」という教えがありますが、家族内のイジメすら無くせないのだから、信じられるわけがありません。

僕は抜け出せない日々に絶望し、母、兄、そして宗教を憎むようになりました。

父は仕事が忙しくほとんど家にいませんでしたし、家庭のことにほとんど口出ししませんでした。母と口論になるのが嫌なようでした。

ふと思い出したのですが、こどもの頃は、頭痛がずっと止まりませんでした。頭の中でチッチッチと時計の音が鳴り響いて眠れない日もありました。当時はこどもだったので自覚がありませんでしたが、精神的な病気だったのかもしれません。

基本的に、エホバの証人では、協会(指導部)から許されている行為以外はすべて禁止です。他の子が当たり前にやっていることを、自分が出来ないのは大きなストレスでした。

  • 誕生日、クリスマス、行事
  • 冠婚葬祭
  • 権力、進学、仕事
  • インターネット(昔)

エホバの証人が誕生日やクリスマスをしない、というのを聞いたことがある人もいると思います。こどもの日やひな祭り、七夕といった伝統行事もしません。夏祭りや盆踊りにも僕は大人になるまで行ったことがありません。

母は自分はこどもの頃にお誕生日にケーキを食べたりプレゼントを貰っていたというのですから、ひどいですよね。

結婚式では、母や次兄、弟も招待しました。しかし、宗派の異なるキリスト教会式には立ち会えないという理由で、披露宴のみの出席となりました。また、祖母の葬式も仏式で行われたため、彼らは不参加でした。ただ、完全に無視するわけではなく、宗教行為のない食事の時間だけは一緒に過ごすことになりました。

正直、僕も何が虎の尾なのか判断がつかないので、迷ったら何もしません。信者ではない父親の還暦や退職祝いはしましたが、母にはしませんでした。でも、プレゼントや会食が禁止されているというわけではなく、贈り物をしたいのであれば特に理由付けをせず渡せば問題ありません。

なんでもない日、おめでとう!

唯一神であるエホバが絶対権力者である、という考え方から権力構造から距離を置きます。

例えば、国歌や校歌を歌いませんし、国旗掲揚に対しても視線を向けないように教えられます。また、投票行為をしません。これは学校の選挙も含まれます。

僕は小学校の頃に、困ったことに学級委員長に選ばれることがありました。これは、権力者に就くことになるのでタブーです。

学級委員長は立候補ではなく、推薦投票で決まってしまったので、僕にはどうすることも出来ません。親は家ではこれをしてはいけないと言うだけで、それを学校側に伝えるのはこども自身がしなければなりませんでした。

僕は宗教をまったく信じていませんでしたが、かといって小学生でしたから親に逆らうことはできません。八方塞がりになった僕は教室で泣き出してしまったのを今でも覚えています。

信仰心を試される厳しい試練は、むしろ喜ぶべきだと母は言っていました。大人になってから自分の意思で入信している母はこのような体験はしていません。怒りと恨み、そして絶望といった色々な感情が頭の中でぐちゃ混ぜになって蓄積していきました。

ある日、僕はついに我慢の限界が来て爆発しました。小学4年生でした。

それは数年毎に1回だけの大会の日でした。数万人規模の信者がドーム球場に集まって、1日がかりの大きな宗教イベントをします。

その日も、僕は兄にいじめられて泣いていました。それでも母は遠出するために準備をしていて、助けてくれません。

僕はもう本当に嫌になって「今日はもう行かない!」と叫んでいました。

母はかなり驚いていましたが、時間も押していたこともあり、迷った挙げ句に僕だけ家に置いて出かけていきました。この日を境に、僕は二度と宗教に行かなくなりました。

このことがすべての原因とは言いませんが、壁にぶつかった際に悩みを抱え込んでしまい上手く乗り越えることが出来なくなってしまいました。この先の人生で何度か、鬱状態になり引きこもったり爆発したりを繰り返してしまいます。

振り返ってみれば、10歳という比較的早い年齢で抜け出せたのは、かなり幸運でした。そのままズルズルと高校生や大人になるまで抜け出せない人生もありえました。長兄は20歳くらいまでやっていましたし、次兄は今でも現役の信者です。

多くの2世信者は、高校卒業後は進学せず宗教活動に専念することを推奨されます。大学進学が禁止されているわけではありませんが少数派です。長兄は大学に行って彼女を作り、結果的に宗教を離れることになったので、エホバの証人の行き方としては誤った道だったのかもしれませんね。

高校卒業後はほとんどの人はアルバイトですし、定職につける技能がある人でも拘束時間の長い正社員に就きません。あくまでもエホバの証人が本業だからです。

エホバの証人の中でも出世コースがいくつかあります。ただし、基本的に男性しか役職に就けません。

「長老」と呼ばれる支店長と、それを支える「奉仕のしもべ」という2つの役職があります。基本的には長老が最終目標ですが、男性信者の人口が少ないので20代で就く人もいます。ひとつのエリアに100人くらいの信者がおり、2~4人程度の長老が運営するという構造です。

さらに上昇志向のある人は、本部に移動したり、複数の支部をまとめる監督責任者を目指します。僕の次兄はミャンマーに行って新たな信者を開拓するという難易度の高い道を進んでいます。現地では長老職に就いていますが、ミャンマーは軍事政権下で新興宗教への弾圧が行われており、場合によっては身の危険もあります。

エホバの証人の組織は基本的に、信者の寄付によって賄われているようです。僕はこどもだったのでうろ覚えですが、母親が毎月、数千円を寄付していたのを覚えています。兄夫婦は2人でアルバイトしてお金をため、ある程度のまとまった貯金ができたら海外に布教に出かけるという生活を繰り返しています。

基本的に、宗教活動はボランティアであってお金が支給されるということはありません。老後の生活とかどうするつもりなんでしょうね。

今も残るエホバの証人の影響

現在、僕がエホバの証人によって頭を悩まされることはありません。たまに夢に出てきてイラッとするくらいですね。

家族関係は、正直なところあまり良くはありません。

まず、長兄は禁忌を犯して排斥になったこと、さらにその後に不倫騒動を起こした結果、母は絶縁宣言をして顔を合わせようとしません。おそらく、現役信者の次兄も同じ考えでしょう。

結果的に、兄弟間も疎遠になっています。

実家は名古屋ですが、長兄は金沢、次兄はミャンマー、僕は埼玉なので物理的に離れていて会う機会が無いということもあります。会いたくないから離れていったという側面もあるかもしれません。

あと、僕の家族に対しては一切の勧誘行為をしないように母親に忠告してあります。もしも、悪影響があると僕が判断したら、会わせないようにすると言ってあります。僕が宗教から離れてすでに何十年も経っていますが、その影響は永久に残ると思います。

食事の際に手を合わせるということを今もしません。子どもの頃にやらなかったからか、しっくりこないのです。宗教行為に対して嫌悪感があり、お参りなどにも抵抗があります。何度か経験することで、慣れていく部分もありますが、偶に他の人が当たり前にすることを出来ないことがあります。

一方で、良い影響も少なからずあったと思います。

エホバの証人を含めた新興宗教や他の思想、多様性などに関して寛容な思想を持てるようになりました。自分とは絶対に相容れない人たちが、身近に住んでいるという現実を理解するのは大切だと思います。

エホバの証人の信者は、優しくてとても良い人が多いです。他人を貶したり、競争社会のような厳しさもありません。宗教の勉強ばかりしているわけではなく、信者同士で会食をしたり、時には運動会のような催し物もあります。居心地の良いサークル活動だと思えば、悪くないのかもしれません。

もしかしたら、心から教義を信じているわけではなく、安心できる居場所にしている人もいるのかもしれません。

僕の母親も、自由にエホバの証人の活動をしていられるのは、父がしっかり働いて生活できるお金を稼いでくれているからだと言っていました。現実から目を背けて宗教に没頭しているわけではないようです。

僕が若い頃は、なんとかして宗教の矛盾を指摘してやりたいという思いに駆られて、母と口論したこともあります。でも今は、母や兄の本心がどこにあるのかはわかりませんが、各々が満足できる生活を送れているのならそれで良いと思えるようになりました。

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