親が何も言わないとこどもが四六時中youtubeを見てしまうので、朝起きてから朝食を食べるまでの間だけにするというルールを作りました。
寝坊もしなくなるので一石二鳥というわけです。
でも、手持ち無沙汰になるとどうしてもyoutubeが見たくなってしまうようで「朝だけにしなさい!」と注意すると不満顔になります。
親は好きな時にスマホを触れるのは不公平だとその表情からありありと伝わってきます。
親としては、長時間youtubeを見ていると視力が弱ってしまうので心配ですし、その理由をこどもにも伝えているのですがyoutubeを見たい気持ちを抑えるのは難しいようです。
僕自身も、こどもの頃にテレビは1日1時間、漫画は30分までと決められていて不満だったので、こどもの気持ちもわかります。教科書を読んでも目が悪くなるのに、勉強は毎日しなさいと言われるのですから納得いきませんでした。
それぞれが色々な思いや考えを持っており、皆が納得するルールを作るというのはとても難しいものです。
夫婦別姓制度の是非
今回は最近話題になっていた、夫婦別姓制度について考えていきます。
家庭内でのルール作りでも大変ですから、国の法律を作ったり変えることはとても複雑で労力の要する仕事だと思います。
特に夫婦別姓制度は、非常に多くの人に関わる大きな問題です。
夫婦別姓(ふうふべっせい)、あるいは夫婦別氏(ふうふべっし/ふうふべつうじ)は、夫婦が結婚後も法的に改姓せず、婚前の姓(氏、名字、苗字)を名乗る婚姻および家族形態あるいは制度のことをいう[1]。
夫婦別姓 – Wikipedia 最終更新 2024年11月2日 (土) 09:34
wikiを読んでみましたが、非常に長いので途中で挫折してしまいました。一般人では、これをすべて理解して議論するのはまず不可能でしょう。
なので、今ある知識や経験の中から、自分の気持や考えを整理して夫婦別姓制度について考えていきたいと思います。
「それぞれが好きにしたら良いじゃない!」というのが僕の最初の感想です。
同姓にしたい夫婦であれば今まで通りにすれば良いですし、別姓を選びたい夫婦がいればそれにあえて反対する必要もないのかなと思いました。
自分とは無関係な他所の家の問題に踏み込んで反対するのはおかしいですし、この問題に限らず自分のことに対して他人からとやかくいわれるのも嫌です。
どうしても、夫婦同姓が良いなら、そう思う人が相手方の名字に合わせればよいです。現在では夫側の名字を妻が名乗ることが多いですが、夫が妻の名字に揃えても問題ありません。
ネット上の意見で夫婦別姓に反対するのは主に男性が多いような印象を受けます。男性は名字を変える側になる可能性は低いですし、婿養子に入ったことのある人も少ないので当事者意識がそれほど無いのではないでしょうか。
一方で名字を変える側になることが圧倒的に多い女性の方が、夫婦別姓制度に関心が高いように思います。
自分自身のことを思い返してみると、反省しなければならないなと思うところがあります。
僕が結婚した時は、正直それほど相談をしないまま妻に名字を変えてもらってしまいました。
当時、妻がどんな気持ちだったのかはわかりません。名字を変えることに対して強く反発されることはありませんでしたが、感情を抑えていたのかもしれません。
このことについて本人に聞いてみたのですが、できるなら旧姓のままが良かったと言われました。それが冗談半分なのか、それとも可能なら今でも戻したいという思いがあるのか本心はわかりません。
入籍した当時、僕は転職して4ヶ月くらいでしたから、入ったばかりで名字を変えるというのにも少しためらいがありました。そんな僕の気持ちを察して、妻が引いてくれたのでしょう。
もし、夫婦別姓を選べたらこういった悩みは無くなります。
夫婦別姓制度がはじまったら、既婚者はどうなるのでしょう?希望すれば誰でも変更もできるようになるのでしょうか。
妻が旧姓に戻したいのであれば反対はしませんが、うちにはこどもがいるので僕は今の名字のままでいようと思います。
急に名字が変わってしまえばこどもは混乱してしまうかもしれませんし、友達関係に支障をきたす可能性もあります。リスクを負ってまで名字を合わせるよりも、大人になるまで今の名字のままでいるべきかなと思います。
母親だけ旧姓に戻すとなれば、親子関係にもなんらかの影響があるかもしれませんが、それは十分に話し合った上で決めなければなりません。
夫婦別姓制度の反対意見として、家族の絆が薄れるという懸念があります。
でもこれに関しては、生まれた時からそういう環境であれば、そんなものだという認識になるのではないでしょうか。
一般的に、女性はスカートを履きますが、男性でスカートを履く人はほとんどいません。この違いに対して疑問を持つ人は少ないですし、どうしてもスカートが履きたいんだと強く主張する人もいません。各々が個別の名字を持つという習慣が広がってしまえば、それを問題視すること自体が無くなります。
それに、女性が結婚して夫の名字を名乗ることになれば、妻は実家の両親と別の名字になります。その場合、妻と両親の家族の絆はどうなるのでしょうか?
家族の絆を守るために家族は同姓に統一するべきだとすると、結婚することによって一方の親子間の絆を断つことになるので矛盾します。夫が妻の名字を名乗った場合でも同じことが起こります。
もちろん、現在はそこが大きな問題になることはありませんし、名字が同じだからといって嫁と姑がものすごく仲良くなるということもありませんよね。
僕が母方の祖父母の名字が自分と違うということに気づいたのは小学校の高学年くらいだったと思います。もともと「東京の叔父さん」「名古屋の叔母さん」といった感じで地名+関係性で呼んでいたこともあり、名字も名前も大きくなるまで知りませんでした。
それでも、家族の仲はとても良かったです。
名字が違うからといって、家族の絆が薄れるという心配は無いと思います。
もちろん、夫婦別姓制度が導入されれば、社会的に大きな影響はありますし慣れるまではしばらく時間が必要だと思います。
でも、実生活ではそれほど大きな変化はないんじゃないでしょうか。
犯罪の少ない日本では今でも身分確認などが曖昧なことも多いです。病院などにこどもに連れて行った場合でも「本当にあなたは親ですか?」なんてことをいちいち聞かれることはありません。こどもの診察券や保健証を持ってさえいれば、友達の親などが付き添ったとしても疑われることなく受診できるでしょう。
今でも夫名義のクレジットカードを妻が使っても特に問題はありませんし、配達の受取などで代わりにサインすることも少なくありません。夫婦間や親子間で名字が違うからといって、手続きなどで不便になることも無いと思います。
こどもの友達が家に遊びに来ることがあるのですが、その子たちからは「〇〇のママ」「〇〇ちゃんのお父さん」といった呼び方をされます。こどもたちは下の名前で呼び合うことが多く、名字が分からないことも少なくありませんし気にもなりません。
日本人はもともと和服を着ていましたが、明治時代になると欧米文化が広がり洋服を着る人が増えました。大正時代の写真を見ると、和服と洋服の人が混ざって生活していたようです。そして、現代ではほとんどの人が洋服で生活しています。
夫婦別姓制度も定着してしまえば慣れていくものじゃないでしょうか。
ちなみに、夫婦同姓制度となったのは1898年からで100年くらいの歴史だそうです。
それ以前の日本では、貴族や武士だけ名字を名乗ることができました。農民は公的には名字は持つことを禁じられていましたが、実生活では地域や村名を家名にしたり、お坊さんにつけてもらって勝手に名乗っていたようです。
立場の弱い女性に至っては、名字を使う機会も無かったようです。貴族や武士の女性でも本名がわからない人が多いです。
わずかに残された記録やお墓などには女性は実家の名字で記されており、結婚しても名字を変えるという習慣は無かったと推測されています。鎌倉幕府を作った源頼朝の奥さんが北条政子だというのは歴史の授業でも習いますよね。
男女ともにすべての国民に名字を名乗らせた「平民苗字必称義務令」は当時としては社会を揺るがすような大きな政策だったでしょうし、1898年に定められた夫婦同姓制度によってあらたな風習が生まれました。
名字に関する制度や慣習はその時代によって変化しており、伝統だからといって絶対的に変えてはいけないものという訳ではありません。
平民苗字必称義務令(へいみんみょうじひっしょうぎむれい、平民苗字必唱義務令)は、日本の法令である(明治8年太政官布告第22号)。1875年(明治8年)2月13日公布。すべての国民に苗字(名字・姓)を名乗ることを義務付けた。
平民苗字必称義務令 – Wikipedia 最終更新 2024年7月9日 (火) 11:59
日本では憲法でさまざまな自由が保障されており、名字を選択する権利もそこに含まれていると思います。
国家権力が介入して自由を制限するのならば、相応の根拠が必要です。
自由に何回でも好きなだけ名字や名前を変えられるとなってしまえば、社会の混乱を引き起こしてしまうでしょうからある程度の規制はあるべきだとは思います。
かといって、夫婦は同姓でなければならないと法律で縛るのは、憲法に定められた自由の権利を侵害しているんじゃないでしょうか。
0か100かという極論ではなく、同姓と別姓をそれぞれが選択できる柔軟なルールに改正することが必要だと思います。
保守的な議員からは、今ある通称の利用範囲を広げて対応するといった案もだされていますが、これでは書類上の問題は解決できても、名字を変えたくないという人の気持ち自体を解消することはできません。
むしろ、相手の気持ちを縛ってまで同姓にしたいのはナゼなのでしょうか。同姓にこだわるのなら、自分が相手の名字に合わせれば良いだけです。
自分は変えたくないけど、相手には同姓でいてほしいというのは単なるワガママでしかありません。
むしろこの問題は、とっくの昔に改正されていてもおかしくないものです。
これまでまったく改正の動きが見られなかったのは、社会的な影響力が大きく政治リソースを使う割には、それに見合うメリットが政治家たちに無かったからじゃないでしょうか。
つまり、端的に言うと選挙で有利になるような話題ではないし、お金や利権にもならないのでそこに労力を割きたがらなかったのでしょう。
しかし、現在では大企業や海外から指摘が入ったことによって、やっと重い腰を上げたようです。特に多額の政治献金をしている経団連からの要望は無視できません。
これは与野党で協力して議論できる問題ですし、かなり近い将来に改正されるのではないでしょうか。
ちなみに、もし妻がどうしても名字を戻したいと言ったら、僕はそれを尊重したいと思います。僕自身はやはり同姓という習慣で育ってきたので、夫婦同姓でいたいというのが本音です。こどもが大人になるまでは今の名字を使いますが、成人したら妻の旧姓に揃えても良いかなと思います。
コメント